伊沢修二と台湾

伊沢修二と台湾
定價:1200
NT $ 150 ~ 1,140
  • 編者: 木下知威
  • 出版社:國立臺灣大學出版中心
  • 出版日期:2018-12-05
  • 語言:日文
  • ISBN10:9863502820
  • ISBN13:9789863502821
  • 裝訂:精裝 / 524頁 / 15 x 21 x 3.4 cm / 普通級 / 單色印刷 / 初版
 

內容簡介

  日清講和條約簽署後,臺灣被割讓給日本,當時,日人伊澤修二(いさわ・しゅうじ、1851-1917)為治理臺灣,遂來臺推行日語教育。由於伊澤修二任職於文部省與臺灣總督府,不僅負責教育方面的行政事務、創立國家教育社推行教育啟蒙,也創辦樂石社以推動口吃矯正教育。因此,欲探索近代日本國民語言的奠基事業與成就,伊澤修二是不可避而不談的人物。儘管學界已發表許多有關伊澤修二的先行研究,但目前仍少有同時立足日本、臺灣,乃至亞洲視域的跨文化探討。

  本書試圖處理上述課題,並分為兩大部分討論之。第一部分收錄與伊澤修二相關的先行研究,綜合性地檢視伊澤修二在各個領域留下的成就;第二部份收錄五篇不同領域的論文,討論主題包含:口吃矯正、盲啞教育、乃木希典遺髮碑的建立計畫、臺語教育、中文教育,以及伊澤修二逝世後的紀念表揚活動,藉此

  日清戦争の講和条約を経て、割譲された台湾を治めるべく降り立った人たちのなかに、一人の男性がいた。その名を伊沢修二(いさわ・しゅうじ、1851-1917)という。伊沢は文部省と台湾総督府に勤務することで教育行政に関わり、または国家教育社で教育の啓蒙をおこない、楽石社をひらいて吃音矯正事業を推し進めた。伊沢は、近代日本における国民の言語の成立を検討するさいに欠かすことのできない人物である。伊沢はその重要性から多くの研究がされてきたが、日本と台湾、ひいてはアジアという視点に立脚した総合的な研究はほとんど行われてこなかった。

  本書はこれらの課題に着目し、二部で構成している。第一部では、伊沢の多面にわたる業績についての諸研究を総合的に検討する。第二部では学問領域を超えて伊沢と日本・台湾をめぐる言語と教育の諸課題を明らかにするべく、吃音矯正、盲唖教育、乃木希典遺髪碑の建立計画、台湾語教育、中国語教育、伊沢沒後の顕彰活動を主題にした五本の論文で構成している。

  なお、本書の表紙は伊那市立高遠町歴史博物館所蔵の拓本「伊澤先生記念碑」を使用した。
 
 

作者介紹

編者簡介

木下 知威(キノシタ トモタケ)


  生於1977年,橫濱國立大學院工學博士。現任日本社會事業大學講師,專長領域為建築計畫學、建築史和視覺文化論。

  1977年、日本国福岡県北九州市生まれ。横浜国立大学大学院工学府社会空間システム学建築コース修了。博士(工学)。日本社会事業大学非常勤講師。専門は建築計画学、建築史、視覚文化論。
 
 

目錄

はじめに 日本と台湾における伊沢修二╱木下知威
 
【第一部 日本と台湾における伊沢修二研究の現在】
 
第一章 伊沢修二資料の全体像╱木下知威
第二章 日本における伊沢修二研究の現状╱山本和行
第三章 日本語教育史研究における伊沢修二╱冨田哲
第四章 吃音矯正と盲唖教育における伊沢修二╱木下知威
 
【第二部 伊沢修二と台湾・日本】
第五章 歪んだ声を救えるか―伊沢修二と視話法―╱木下知威
第六章 乃木希典遺髪碑建立と伊沢修二╱冨田哲
第七章 伊沢修二と台湾語教育╱黄馨儀
第八章 「泰東」への関心―伊沢修二の「中国語教育」―╱山本和行
第九章 伊沢修二と台湾の記憶をめぐって╱塚田博之
 
結論╱山本和行
伊沢修二と台湾に関する年表╱木下知威
あとがき╱木下知威
 
人名索引
事項索引
書名索引
編集者略歴
執筆者略歴
 
 

內容連載

はじめに 日本と台湾における伊沢修二(抜粋)

木下知威(日本社会事業大学非常勤講師)


一、激情する伊沢

本書は、近代日本の官僚・教育家である伊沢修二について、日本と台湾におけるこれまでの研究を総括しつつ、言語教育や盲唖教育の視点を中心に明らかにするものである。

まず、伊沢の人生を確認しよう。

伊沢修二(いさわ・しゅうじ)近代日本の政治家・教育者。1851(嘉永4)年に信濃国高遠藩(現・長野県伊那市高遠町)の藩士の家に生まれ、進徳館で学んだのち、高遠藩の貢進生として東京の大学南校で学ぶ。文部省に入り、1874(明治7)年に愛知師範学校長。翌年、アメリカのマサチューセッツ州ボストン近郊のブリッジウォーター師範学校に留学したのち、ハーバード大学に進学。帰国後は体操伝習所主幹、東京師範学校長、音楽取調掛、文部省編輯局長を歴任。1890(明治23)年2月、東京音楽学校長、同6月東京盲唖学校長となる。翌年に文部省を辞する前後に国家教育社を設立し、教育雑誌『国家教育』を刊行。文部省を非職になったあとは国家教育社において活動し、1895(明治28)年、台湾総督府民政局学務部長となる。1897(明治30)年からは勅撰貴族院議員となり、1903(明治36)年に楽石社を創立する。泰東同文局の設立にも関わり、中国語教育にも関与する。また、高等教育会議議員、東京高等師範学校長を歴任する。1917(大正6)年、67歳で急逝。

伊沢は文部省の中枢にいながら、師範学校、音楽教育、語学教育、体操、教科書編纂に関わると同時に、民間において教育雑誌『国家教育』を刊行するといった多岐にわたる成果を残した。
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